130年の歩み

1884年、ブライトリング創業者レオン・ブライトリングは、スイス・ジュラ地方の小さな村サンティミエに時計工房「G.レオン・ブライトリング」を開きました。

直ぐに工房は手狭となったため、ラ・ショー・ド・フォンのモンブリラン通りへ移転し、「レオンG・ブライトリング」に改名します。

60名もの従業員がいたそうですが、成功の背景にはレオンが世界のスピード化に共鳴して描いた精密計測時計の夢がありました。

1886年、ドイツのカール・ベンツが世界初の3輪ガソリン自動車を発表、1903年にはライト兄弟が人類初の動力飛行に成功しました。

時代のスピード化の応じてクロノグラフの開発を進めたブライトリングは、製品を各地の展示会に出展し、数々の賞を獲得しました。

 

1914年、第一次世界大戦が起こり、兵士に対して「トレンチ・ウォッチ」が大量供給されます。

「トレンチ」とは、戦時、歩兵が砲撃などから身を守るために使う穴=塹壕のことです。

当時は懐中時計しかありませんでしたが、作戦のための時間を正確に知るために懐中時計を腕に巻き付けるようにしていました。そこから開発されたのがトレンチ・ウォッチです。

1914年レオンの息子ガストンが事業を引き継ぎ、同年腕時計サイズの30分積算系搭載クロノグラフを発表しました。

良く5年には、リューズとは別にクロノグラフ用のスタートボタンを持つモデルを実現しています。

 

1927年、リンドバーグが大西洋単独無着陸横断飛行に成功しました。同年、ガストンが亡くなり息子ウィリーが引き継ぎます。

この間もクロノグラフの開発は続けられ、1934年に独立したスタートとリセットのボタンを持つモデルが誕生します。

1942年には回転計算尺搭載の「クロノマット」が発表され、航空用クロノグラフの新時代の幕開けとなりました。

事実、航空界の発展はスピードを増し、大量輸送時代へと突入していきます。

1947年、米軍のイェーガー大尉が史上初の有人超音速飛行に成功し、1952年には英国デ・ハビランド社の「DH・106コメット」が世界hつのジェット旅客機の営業運航を開始しました。

この年、ブライトリングの旗艦モデルの一つである「ナビタイマー」が誕生します。

これは高度な航空用回転計算尺と30分・12時間の積算計も備えた本格的な航空用クロノグラフでした。

 

一方で防水性の追求も進み、1957年には200m防水の「スーパーオーシャン」をリリースします。

防水機能と同時に大戦後の市場を席巻していた自動巻き時計ですが、クロノグラフは複雑な機構のため1960年代になっても自動巻き化が実現していませんでした。

これに挑戦したのがブライトリングであり、ホイヤーやハミルトンと共同して1969年に世界初の自動巻きクロノグラフ機構を開発し、自社から「クロノマチック」を発表し、クロノグラフの近代化に貢献しました。

 

しかし、1970年代になると圧倒的高精度を持つクォーツ時計が急激に普及し、スイスの時計業界は壊滅的な打撃を受けてしまいます。

ブライトリングも例外ではなく、ウィリーの健康状態も悪化し事業継続が非常に難しい状況となりました。

そこでウィリーは、1979年4月に精密機械工学と電子工学の専門家アーネスト・シュナイダーに経営を委ねる決断を下さしました。ウィリーに後継者がいなかったことも一族以外の者を迎え入れる決断に影響しているでしょう。

 

アーネストは工房をグレンヘンに移し、機械式と電子式の両分野で新作を開発してブランドを再生する戦略を実行しました。

ブライトリング創業100周年の1984年には、イタリア空軍の「フレッチェ・トリコローリ」の公式クロノグラフ選定に応えて開発した新型機械式クロノグラフ「クロノマット」を発表し、翌年には斬新なクォーツクロノグラフ「エアロスペース」や原点回帰の代表作「オールド・ナビタイマー」もリリースしました。

1994年には、アーネストの息子セオドア・シュナイダーが経営を譲り受けます。

セオドアはブライトリングに来る前は高級時計会社で働いていた経験を活かし、製品の高品質化とラインの再構築を指揮しました。

セオドアは「プロのための計器」をコンセプトに航空関係の活動を世界規模で行い、次々に空軍限定モデルを発表します。

1995年には世界初の国際遭難信号発信機搭載の腕時計「エマージェンシー」も発表しました。

そして1999年、ブライトリングは前人未到の二つの挑戦に成功します。

それは熱気球による世界一周無着陸飛行「オービター3」と、全製品をスイス公認クロノメーター検定合格品とする「100%クロノメーター化宣言」です。

その実現のため、ブライトリングは本社工場を完全リニューアルしたほか、2002年にはムーブメント工場「ブライトリング・クロノメトリー」をラ・ショー・ド・フォンに建設しました。

 

同2002年にはイギリスの名門自動車メーカー、ベントレーとのパートナーシップを発表し、「ベントレー コンチネンタルGT」のダッシュボード・クロックを製作、翌03年には初の市販モデル「ブライトリング・フォー・ベントレー/ベントレー・モーターズ」が発表されました。

 

2004年には更なる飛躍を目指すためムーブメントの開発に着手し、2009年に初の完全自社開発・自社製造ムーブメント「キャリバー01」を発表しました。

breitling-caliber-01

このキャリバー01はクロノマット44やナビタイマー01に搭載されています。

2013年にはブライトリング・ジェットチームが初のアジアツアーで日本にも飛来し、日本の空でアクロバット飛行を披露してくれました。

特に東日本大震災で甚大な被害を受けた福島で飛行を披露してくれたことは、心に大きな傷を負った福島の方々に笑顔を取り戻させてくれる大変嬉しい出来事でした。

日本での飛行地として福島を選んでくれたブライトリング・ジェットチームに心から感謝いたします。

 


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